243 :名無しさん@おーぷん 2015/01/17(土) 20:03:13 ID:llH
実家に住んでいたころ、母親から「きったない、くっさい、ブタ」と言われて暮らしていた。
理由は、わたしの部屋が散らかっていたから。
学校でもらったプリントやノートが部屋中に散らばっていた。
どうしてきれいにできないのか、実家にいたころはわからなかった。
汚い、臭いと言われるのは嫌だった。母親から嫌われていることがつらかった。
ひとり暮らしをして、持ち物を減らしたら、
そこそこ部屋をきれいに維持できた。
実家にいたころ、入りきらない容量の要らないものが、
わたしの部屋を埋め尽くしていて、片づけられなかったんだと最近気づいた。
すでに一人暮らしをして5年近くになる。
母親は、古い勉強用ノートや教科書、テスト(小テスト含む)を捨てるなと言い、
ゴミに出そうとすると、怒鳴りつけてわたしの部屋に戻した。
たった十冊程度の手書きの趣味ノートを、
「なぜこれ(古いノート)を捨ててそんなものを残すんだ!」と怒鳴ったこともあった。
理由は、わたしの部屋が散らかっていたから。
学校でもらったプリントやノートが部屋中に散らばっていた。
どうしてきれいにできないのか、実家にいたころはわからなかった。
汚い、臭いと言われるのは嫌だった。母親から嫌われていることがつらかった。
ひとり暮らしをして、持ち物を減らしたら、
そこそこ部屋をきれいに維持できた。
実家にいたころ、入りきらない容量の要らないものが、
わたしの部屋を埋め尽くしていて、片づけられなかったんだと最近気づいた。
すでに一人暮らしをして5年近くになる。
母親は、古い勉強用ノートや教科書、テスト(小テスト含む)を捨てるなと言い、
ゴミに出そうとすると、怒鳴りつけてわたしの部屋に戻した。
たった十冊程度の手書きの趣味ノートを、
「なぜこれ(古いノート)を捨ててそんなものを残すんだ!」と怒鳴ったこともあった。
244 :名無しさん@おーぷん 2015/01/17(土) 20:03:42 ID:llH
13歳くらいまで、わたしは母親からよく叩かれていた。
なんでも、わたしのせいだった。大抵のことはわたしが悪いことになった。
クラスの男の子が教室で突然悪ふざけをしてわたしにぶつかり、そのせいで右目を失明しかけたときも、
「あんたがぼーっとしているのが悪い」と言われた。
母はすぐ怒鳴るから、父は母と大事な話をしたがらなかった。
怒鳴りあいが聞こえるとわたしは泣いた。
ある日、泣いているところを父に見られた。父は謝ってわたしの頭を撫でた。
しばらくして、
「あんたが泣くから、お父さんが話し合いをしないと言った。あんたが悪い。
あんたさえいなければ。あんたのせいで幸せになれない」
と言われた。
実家に住んでいたころは、どうとも思わなかった。
わたしは、父のことも母のことも好きだった。
特に母のことは大好きだった。勉強を頑張っていたのも、母に喜んでほしかったからだった。
ほめてほしかったのもあるけれど、
「お母さんもうれしい、がんばっているね」と言ってほしかったのだと思う。
要は認めてほしかった。
なんでも、わたしのせいだった。大抵のことはわたしが悪いことになった。
クラスの男の子が教室で突然悪ふざけをしてわたしにぶつかり、そのせいで右目を失明しかけたときも、
「あんたがぼーっとしているのが悪い」と言われた。
母はすぐ怒鳴るから、父は母と大事な話をしたがらなかった。
怒鳴りあいが聞こえるとわたしは泣いた。
ある日、泣いているところを父に見られた。父は謝ってわたしの頭を撫でた。
しばらくして、
「あんたが泣くから、お父さんが話し合いをしないと言った。あんたが悪い。
あんたさえいなければ。あんたのせいで幸せになれない」
と言われた。
実家に住んでいたころは、どうとも思わなかった。
わたしは、父のことも母のことも好きだった。
特に母のことは大好きだった。勉強を頑張っていたのも、母に喜んでほしかったからだった。
ほめてほしかったのもあるけれど、
「お母さんもうれしい、がんばっているね」と言ってほしかったのだと思う。
要は認めてほしかった。
245 :名無しさん@おーぷん 2015/01/17(土) 20:04:06 ID:llH
わたしは大抵の教科で80点以上を取っていた。
いつも「間違ったところをできるようにしなさい」「次はもっと頑張りなさい」と言われていた。
あの家で暮らしていた時、わたしは頑張り続けていた。
家では何をしても怒鳴られて嫌味を言われ、
唯一怒鳴られずにほめてもらえる可能性があることは、勉強して結果を出すことだった。
母の目標はおそらく「偏差値の高い高校・大学に入った、ブランド物の娘を持つ」ことだったが、
わたしは「母を喜ばせつづけること」を目標としていた。
母の目標は達成されたが、わたしの目標はいつまでも達成されなかった。
わたしが小学校低学年の頃ぐらいから、
母はわたしに、「宝くじが当たったら離婚する」と言い聞かせていた。
その実際の確率は、わたしにとって問題ではなかった。
「わたしを含む家族と『かかわりを持ちたくない』と強く考えている」という意思表示だと感じた。
小さいころは明確に言語化できていなかったが、
強い不安をいつも感じていた。
いつも「間違ったところをできるようにしなさい」「次はもっと頑張りなさい」と言われていた。
あの家で暮らしていた時、わたしは頑張り続けていた。
家では何をしても怒鳴られて嫌味を言われ、
唯一怒鳴られずにほめてもらえる可能性があることは、勉強して結果を出すことだった。
母の目標はおそらく「偏差値の高い高校・大学に入った、ブランド物の娘を持つ」ことだったが、
わたしは「母を喜ばせつづけること」を目標としていた。
母の目標は達成されたが、わたしの目標はいつまでも達成されなかった。
わたしが小学校低学年の頃ぐらいから、
母はわたしに、「宝くじが当たったら離婚する」と言い聞かせていた。
その実際の確率は、わたしにとって問題ではなかった。
「わたしを含む家族と『かかわりを持ちたくない』と強く考えている」という意思表示だと感じた。
小さいころは明確に言語化できていなかったが、
強い不安をいつも感じていた。
246 :名無しさん@おーぷん 2015/01/17(土) 20:05:05 ID:llH
大人になった今、思うのだけれど、
母は何を思ってわたしに「離婚する」と言い聞かせていたのだろう。
真顔でうつむいて聞いている、小さい子どもの顔を、どんな気持ちで見ていたのだろう。
わたしはいい子にしているつもりだった。
どうして、あんなに毎日怒鳴られたり、嫌味を言われていたのだろう。
わたしが家を出て、母は幸せを感じることができたのだろうか。
年明けに会ったとき、わたしの血色の悪い指を見て、
母は「垢がたまってるんじゃないの」と言った。
実家で暮らしていたころ感じでいた、なんともいいようのない感覚を、
久しぶりに思い出した。
わたしはもう汚くも臭くもない。
わたしは母に幸せになってほしい。
同時に、母が憎い。
母は何を思ってわたしに「離婚する」と言い聞かせていたのだろう。
真顔でうつむいて聞いている、小さい子どもの顔を、どんな気持ちで見ていたのだろう。
わたしはいい子にしているつもりだった。
どうして、あんなに毎日怒鳴られたり、嫌味を言われていたのだろう。
わたしが家を出て、母は幸せを感じることができたのだろうか。
年明けに会ったとき、わたしの血色の悪い指を見て、
母は「垢がたまってるんじゃないの」と言った。
実家で暮らしていたころ感じでいた、なんともいいようのない感覚を、
久しぶりに思い出した。
わたしはもう汚くも臭くもない。
わたしは母に幸せになってほしい。
同時に、母が憎い。
247 :名無しさん@おーぷん 2015/01/20(火) 10:11:42 ID:5wg
テストいい点数とれたら、資格取得などで自立も可能だったでしょう
ママの愛情が向いてほしいのだろうけど、ママもただの血がつながっている考えが違う別個の人間だからね
ママから離れて自分の考えで歩くようになれば、楽になるときあるよ
ママの愛情が向いてほしいのだろうけど、ママもただの血がつながっている考えが違う別個の人間だからね
ママから離れて自分の考えで歩くようになれば、楽になるときあるよ